003
浪速のおかき屋 やまだ



主役は素材。だから、
添加物・化学調味料・着色料は、一切不使用。
主原料の米が国産であるのは当然、おかきの風味付けに使う素材にもこだわり、海塩、100%ジュース、遺伝子組み換えをしていない米油などを日本各地から厳選し、工場併設のお店で紹介されています。創業大正13年の老舗に、転機が訪れたのは2000年頃。3代目店主の山田精一さんが、自分たちの味に“違い”を出さなければと思い、添加物・化学調味料・着色料不使用を決断したのが始まりだったとか。
とはいえ、化学調味料のパンチのある“旨み”に慣れていると、天然素材の風味は物足りなく感じがち。
そこで組み合わせを工夫して試行錯誤、穏やかな素材本来の味が織りなす、化学調味料を上回る“美味しさ”に辿り着いたそうです。天然素材での風味づけは、米の味がダイレクトに出るのでごまかしはききません。もち米の名産地・佐賀県産を中心に玄米のまま仕入れ、温度や湿度を徹底管理して必要な分だけ1週間ごとに精米。精米機も熱で米が劣化しないように、低速でじっくり精米できる機械を探したそうです。
手間もコストもかかる、無添加のおかきづくり。それでも並々ならぬ情熱で、ひたすら本当に美味しいおかきづくりを追求する山田社長。食に対する安心・安全の意識が高まる中、おかきづくりへの熱い想いに共感するファンは、着実に増えています。
002
眞鍋金栄堂



日本の四季を映す“半生菓子”。
大切に受け継いできた伝統を、今の時代へ。
眞鍋金栄堂は、創業明治13年。大正初期から明治初期にかけ、大阪が“大大阪”と呼ばれ世界有数の大都市として発展していくのと同時に、眞鍋金栄堂も“仲物菓子(現在の半生菓子の原型)”の製造所として全国にその名を轟かせていきました。フィルムに残されている昭和6〜7年頃の製造所の風景を見る限り、いかに活気があったかが伝わってきます。職人の手作業による伝統的な製法は、現在もほぼ変わらず大切に受け継がれています。
生菓子の水分を30%以下に抑え、日持ちを良くした“半生菓子”。戦中は暑さにも強く日持ちがするので、ゼリーなどが南方に出向く陸海軍に重用されたとか。しかし大阪空襲で製造所は全焼。一時はやむなく製造中止となるものの、戦後には大阪市住吉区に移転し、現在まで創業当時の製法を守り続けています。
日本人の四季を愛でるこころ。それは、この国に暮らす者が共通の記憶として理解できる“自然の息吹”のようなもの。春には桜、夏には水辺、秋には紅葉、冬には雪景色…そんな四季と共に生きるこころ模様を繊細で愛らしいカタチに表現している半生菓子。原材料は寒天・水飴・砂糖など至ってシンプル、今風に言えばヘルシー。カラフルで“映える”半生菓子は、SNSでも話題となっています。
001
丸英製菓



今や数軒となった奉天専門メーカー。
『自分が食べて美味しいと思うものを作る』
元々は奉天の生地を販売する営業をしていた創業者が、昭和30年に“つくね(水飴で固めた菓子)”の製造を始め、丸英製菓本舗として創業。令和に入り奉天の外側である飴生地の製造も開始、従来分業であった奉天づくりを一貫して生産する体制となりました。最盛期は50社以上あった奉天メーカーも、現在では数軒に。そんな中、奉天をつくり続ける丸栄製菓は、すべて自家製の材料でひと味違う奉天を手仕事でつくり続けています。
奉天といえば、“硬くてねっとり歯にくっつく”というイメージを持たれがちですが、丸栄製菓の奉天は“カリっと香ばしい”美味しさが身上。粒々のクラッカーを菜種油などで揚げ、麦芽水飴でからめた“かりんとう種”。麦芽糖を多めに使い低温でじっくり少量づつ煮詰め、香ばしさを引き出す“飴生地”。これらを鍋を並べて同時に作り、絶妙の温度を見計らったタイミングで一気にからめて巻き上げる。日々の温度や湿度を考慮しながら職人の勘と手の感覚を頼りに、歯触りや風味を左右する飴生地の厚みを調整します。
作業効率や量産より、自分が納得できる風味や歯触りを追求する。そんな姿勢から生まれる、唯一無二の奉天。伝統菓子ながら若い方も一度食べれば、新たな美味しさにきっと気づいてくれるでしょう。