ご挨拶

令和7年、丹波屋本舗は100周年を迎えました。

創業者・近藤澤太郎は、明治32年兵庫県の氷上郡春日町(現・丹波市)に生まれました。
故郷・丹波の地を離れ京都で菓子修業の後、大正15年10月に大阪で菓子の商いを開始。
直後の昭和恐慌による食糧不足で家族を失い、さらに大戦の戦禍をくぐりながらも営業を続けました。

時を経て令和の時代。私共もコロナ禍を経験しましたが、数々の困難を乗り越えた創業者の強い精神力には遠く及ばないでしょう。
今日まで商いを継続できたのは、製造メーカー様の支えがあったからこそ。常に「ありがとうございます」という感謝の念に堪えません。

四季の移ろいや地域ごとの多彩な文化・歴史を擁する日本には、独自の技術を持つ菓子職人たちが存在しています。
少し大袈裟かもしれませんが、“菓子元卸”という仕事は、先人たちが継承してきた菓子文化を絶やさず守っていく、という使命もあると感じております。

菓子を創るひとと販売するひとを繋ぎ、その先の食べるひとに幸せを届けたい…
これからも良質なお菓子を求める市場と時代を見据え、お菓子と共に歩み続けたいと思っております。
今後とも変わらぬご支援を賜りますよう、こころよりお願い申し上げます。

代表取締役社長 近藤尚義

会社概要

会社名 株式会社丹波屋本舗
設立 大正15年(1926年)10月
所在地 〒556-0005 大阪市浪速区日本橋5丁目7番23号 近藤ビル
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資本金 10,000千円
代表者 取締役社長 近藤尚義
従業員数 16名
事業内容 製菓元卸問屋 及び オリジナル商品加工販売元
取引先 主たる販路/株式会社もち吉、井ヶ田製茶株式会社、株式会社五味商店、株式会社小藤屋、株式会社紀ノ國屋、国分首都圏株式会社(敬称略)、他約400社
主たる仕入先/株式会社中島大祥堂、株式会社大阪萬幸堂、株式会社井崎商店、中山製菓株式会社、株式会社和晃、株式会社吉村甘露堂、株式会社奏日進堂(敬称略)、他約300社

沿革

1925
[大正15年]

大阪市浪速区鴎町にて、近藤澤太郎が菓子販売業を創業

1945
[昭和20年]

大阪大空襲により家屋喪失

1947
[昭和22年]

現・浪速区日本橋に移転

1952
[昭和27年]

株式会社 丹波屋本舗 設立
法人化を機に、取引メーカーによる後援組織 「丹友会」を発足

1960
[昭和35年]

北海道・東北地方の地元菓子問屋及び有力菓子店との取引に続き、
関東・甲信越方面に進出、 拡販する
マイクロバスにお菓子サンプルを展示し全国を回る

1970
[昭和45年]

オリジナル商品の開発

1980
[昭和55年]

オリジナルブランド“ラ・ペー(平和)” の焼菓子を発売
オリジナルギフトの開発に注力し、
全売上に対するギフト売上比率が約30%を超える

1990
[平成2年]

オリジナルの袋菓子”南京つくね” を発売
30年以上にわたり支持されロングセラー商品となる大手菓子会社様より
PB商品としてのご提案をいただき、改良を重ね現在も取引中
中国、四国・九州方面へ販路を拡大、大手高級スーパー様との取引開始
“南京つくね”の売上が和菓子分野で上位を記録する

2003
[平成15年]

米菓ギフト ”あかね舞” を発売
現在まで愛され続けるロングセラー商品となる

2008
[平成20年]

“徳用お好みせん” の拡販に尽力する
現在、 売上第一位商品となる

2015
[平成27年]

スーパーマーケット・トレードショーに初出店

2017
[平成29年]

通販サイトを開設

2018
[平成30年]

宝塚歌劇100周年記念でのオリジナル商品2品が採用となる
以後、計8品のオリジナル商品を企画し採用される

2025
[令和7年]

創業100周年を迎える